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About us   Last update FEV. 23 ,2019
     Gojuryu Karate(karate-justu Nahate:唐手術那覇手) that was born in Okinawa had been completed as the ultimate weapon in the chaotic times after World War II.
Karate, especially Gojuryu Karate in this time was not the sport but "the weapon".
Not little Karate-ka were "fighting machine"for conflict of yakuza or ethnic strife of Koreans in Japan.Mas Oyama (1923~1994) appeared in this period.
Karate-ka trained and used Karate to fight the plural enemies with weapons.The decipherment of the code in KATA advanced rapidly at this time.As a corollary, the nagative image of Karate remained in Japanese society until about 1970's.

 After such as period,the Japanese public order was bad until the 1960s .The youth learned Karate as self-defense or the tool for street fight.The protective gear did not exist.So bare hands kumite was full of the danger and brutal atmospheres. I am the last generation to study such as Karate. 


 Karate become the official event of Japanese National Sports Festival from 1982. The situation of Karate changed completely and recognized as sports rapidly.The protective gear was invented, and the rule was standardized while making trial and error.In dojo, children and the women came to be seen.And the exercise in dojo changed into the sports game Karate.At that time, in kumite game, tsuki was emphasized, and jodan Keri was downplayed.
Karate did not give up the style that is completely protect the vital points Kinteki,etc. and defeat the enemy with one blow.It was completely different from the kumite game which emphasize the jodan keri as the main technique that developed in Europe.

But still this change took the essence as martial arts from karate. Kata became the Kata for the performance.Strange movement came to be seen in Kata such as acrobat. Kumite became the game of touch faster than the opponent.The need to strengthen the fist disappeared. Wonder judgment influenced by sect , ryu, career and politic increased.
 Nowaday ,WKF-sport Karate (which JKF propelled )had totally changed the Japanese traditional Karate into the different Karate came from Europe.
Revising competition rule and KATA year in and year out bring us( traditional Karate-Ka) the large conflict .
I think they had become the Karate different with the same name.It also might have was not be helped for Olympic participation of Karate.
..But! on February 22, 2019, it was determined that Karate will be removed from Olympic sport in 2024 Paris Olympics.In the future does the Japanese Karateka still continue the European-style Karate?



Originaly, Gojuryu Kumite admits the joint technique,the throwing,the constriction technique and the grappling technique. "kakete(掛け手)" is one of the basic exercises for such gojuryu kumite."kakete" has various ways depending on several purpose. kakete uploaded here is one of the example in Yuzenkai dojo .
 
 昭和初期に沖縄から本土へ伝わった唐手術那覇手(1930年に剛柔流空手と命名)が最も威力を振るったのは太平洋戦争敗戦後の混乱期(1945~51年)でした。反社会的集団の抗争、在日外国人の民族抗争などで凶器として好んで用いられた結果、空手はまともな人間のやるものではないというネガティブなイメージが広く世間に定着してしまいました。学校の部活関係は除き、1970年代までのいわゆる町道場は確かに金的攻撃や目突き、対複数・対刃物を想定した護身術の道場であり、型もそういう用途で解釈されたものでした。指導の基準は、本当に敵を倒せる攻撃になっているかでした。基本と型と組手のかい離がなかった時代といえます。
  実戦経験に裏打ちされた先輩たちの指導は魅力的でしたが、防具のない素手素面の稽古の時代だったので、ケガも多く健康保険証は常時携行でした。(photo;Kaicho Naganuma in 1970s)


私は高校時代に担任の先生から「君を見損なった。君は不良になりたいのか!」と激しく叱られたことを今でも覚えています。そんな時代でした。(photo;me in highschool age 1974)

 1982年、空手が国民体育大会の正式種目になりました。国体の効果はさすがに大きく、急速に空手は国民スポーツとして認知され、防具が開発され、剣道のルールを手本とした安全な寸止めルールの整備が進みました。それは、競技と突きと蹴りとに単純化し、危険と思われる技をどんどん排除していく作業でもありました。(排除された技は剛柔流の技が多い)
 スポーツとしての空手といっても、当時の組手競技はやはり武術としてのこだわりが強く、金的や脇を締めた構えで急所を確実に守ることが強調され、金的のあく高い蹴りや腰高な軽快なフットワークは戒められ、低い姿勢からの逆突き主体の組手が推奨され、またそうしなくては審判はポイントをとってくれませんでした。
 タテマエは寸止めを尊重しつつも、巻き藁を用いて一撃で相手を倒せる拳や足を鍛えることに余念はなく、組手で実際が折れたり骨折したりすることも少なくなく、それで反則負けになっても敗北感はなかったというのが正直なところです。ケンカでは勝っているのですから。
 しかしヨーロッパの空手家たちの考え方は全く異なっていました。金的の防御は、そもそもルール違反だから気にする必要はなく、一撃必殺の拳など寸止めのポイントゲームには無用と割り切り、リラックスした腰高の姿勢から軽快なフットワークを使って高い蹴りを積極的に出し、突きも緩い握りで素早く連発する組手を発展させました。
 20世紀末頃から日本の空手はオリンピックを強く意識し始め、空手の国際化で主導権をとっていたヨーロッパの空手スタイルに強く影響され、競技ルールも様々な葛藤に左右されつつ変化し始めました。
 この方針転換について沖縄出身の空手史研究者の金城裕氏(1919-2013)は「あまりにも失ったものが大きかった」と語っています。21世紀になると「型」は鍛錬目的から見せて評価を受けるためのパフオーマンスへ変質し、歌舞伎の見得(みえ)のような演出、やたら怒鳴るような気合、足音を強調する運歩など、映画の殺陣のような表演になっていました。組手もフットワークを多用したフワフワした感じになり、型どおりの突きや蹴りとは異質なタッチ組手に変質していきました。

左の型は雲手(沖縄名クーサンクー)といいますが、この場面は本来は素早く身をひるがえして地に伏せるという技なのに、今はどれだけ高くジャンプできるかを競い合う動作に変質しました。さらに飛び内回し蹴りを行う技であるという後付けの理屈さえくっつきました。

This is a famous part of "UNSU" (KUSANKU in Okinawa Karate).This is the technique that lie down on the ground as quickly as possible originally.But, now it has become the competition that jump as high as possible in Kata game.This is the typical example which lost essence of Kata.
 
 そのような経緯を経ての2020年の東京オリンピックの空手競技ですが、日本の空手は、先んじて国際化を果たしていたヨーロッパのカラテルールに合わせることにしたという次第です。
 今日、組手はいかに相手に早くタッチできるかを競うタッチ組手になりました。つまり巻き藁による拳足の鍛錬は廃れ、緩く握った拳サポータの厚さも計算に入れる軽い突きや軽い蹴りの応酬となりました。金的や急所を守る意識はゼロ。さらに最近はブレイク・ダンスのジムのようなステップの練習が稽古の大半を占めるようになってさえいます。空手の伝統とは本質的に異なるタッチ空手を見るにつけ複雑な気持ちになりますが、空手のオリンピック化という悲願の前には、やむなしというところでした。
 ところが2019年2月22日、2024年パリ・オリンピックでは空手を種目から外すことが決定しました。フランスはヨーロッパの空手の中心地です。そこで行われるオリンピックで競技から外れるということは、空手が東京オリンピック限りのイベントになったことを意味します。日本の空手はこれからもヨーロッパ式の空手に迎合していくのでしょうか。
 

 勇善会の空手は、昔からヨーロッパ式の空手には迎合しません。稽古の一部としては取組みますが、伝統的な剛柔流の組手思想にこだわり、その継承を主眼としています。

 流派とは固有の戦闘理論や技の体系です。
交流大会はそうした固有性を捨てた「公約数」の中で行われるため流派の特色は消滅してしまいます。ちなみに日本の空手競技は船越義珍とその弟子たち、つまり松濤館流の人々が主導権をとって形成してきたため、組手競技はいかにも松濤館的です。剛柔流が主導権をとっていたら別の競技様式になったことでしょう。

Let’s get back on track.Today, Karate is the popular sport all over the world.Also I had coached the JKF method as the high school Karate instructor.Under my supervision, some students had achieved mastery, victory and numerous prizes in the cahmpionship. Some of them had become excellent Karate instructors.
But I also think that my mission is to hand the ultimate Goju-ryuin down to the future generation.

The achievement of the essence of Gojuryu is impossible in the game by JKF-WKF rule. Jiyu-Kumite that admits contact,joint technique,throwing,constriction techniques and grappling technique are necessary . Particularly, "Mawashi-Uke" attack to a neck is the important battle method of Gojuryu.

 剛柔流五技をフルに用いる、顔面あり、衣服へのつかみあり、関節・投げ・絞め・固めありのフルコンタクト剛柔流自由組手。特に頭部頸椎への回し受け攻撃は剛柔流のキモです。
 剛柔流の特徴が生きる競技組手の探求は喫緊の課題だと思います。その前哨として勇善会はフルコンタクト剛柔流(頭部防具つけての顔面コンタクト。金的フェイントあり)を各国の支部に提唱しています。これは相手の衣服、帯、あるいは身体に対して3秒以内の掴み、投げ、倒し、関節を認め、その効果をポイントとして加点していく方式です。頭部頸椎を抑えたら、その時点でポイントです。(技を完了したら甚大な障害が残るからです)
 また、スリップであるかいなかにかかわらず足の裏以外の身体がマットに着いたら死に態として減点されます。これは紛争地域の支部長からの、戦場での転倒は死を意味するという助言に基づくものです。だからフルコンタクトの試合でよく見られる、転倒しながら出す蹴り技、転倒しても審判が試合を止めてくれる前提での技は使えません。 剛柔流空手はこの競技法によってのみ型と基本と組手の分裂がなくなっていくと考えます。
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 話題は変わりますが、近年興味深いのは、海外で空手武器としての琉球古武道ブームと、スポーツ化以前の唐手へのブームが起きていることです。彼らは空手には素手の術と武器の術の二部門があると理解しています。 競技空手から入って、あるレベルに達した外国人は、前述の金城氏の「あまりにも失ったもの」に強い関心を抱き、基本と型と組手が有機的に繋がる本来の空手や、武器術を求める動きが加速化しています。そのさい彼らはリアルな戦闘場面で古式の技が使えるか否かを評価し素直に表情に出します。単なる権威や血統では納得しません。身を持って実証してみせることが不可欠です。

It is only a mere stick dance if kata of Bo is not trained as kumi-Bo(Bo-kumite).
 もちろん棒術も空手の型と同様に分解され組棒として稽古されなくては棒踊りに見られるでしょう。        

My earliest Dojo was established in 1984 .

当時は極真空手全盛期。フルコンタクト空手の大会にも出場したがる生徒達に、頭ごなしに否定するのではなく、その機会を与えるべく東奔西走しました。結果としてそれは勇善会の剛柔流に大きな影響を与えたと言えます。 
 
 子どもも試し割りはさせるべきです。正しい握り、正しいフォーム、正確に二か所の拳頭を当てる感覚を養います

 70代後半にしてかくしゃくと世界各地を巡って又吉派沖縄古武道を指導し、時には海外の古武道大会に現役で出場される真武館館長二又静明先生。先生の励ましがなかったら勇善会の海外進出は決断できなかったでしょう。外国人相手の経験談、彼らを指導する際の注意点やこつなどご指導くださった恩人です。

Sensei Futamata(Shihan of Matayoshi kobudo),the comrade my
respect
About the name and logo of YUZENKAI
 本会でも小中生の組手は黒帯取得までは基礎・基本を重視しつつ通常のスポーツ空手を中心に行います。(内容や稽古方法は昔ながらの色が強いです)


 「勇善会」という名称は、昭和時代に幾多の実戦経験で剛柔流の技を検証した二人の師のお名前(長沼善秋師範、加藤勇師範)に由来し、長沼善秋会長の命名によるものです。 勇善会剛柔流空手は剛柔流の型が打拳・投げ・関節・締め・固めの5つの構成要素からなることを重視し、これらを剛柔流五技としてカリキュラム化しています。先人が遺した型を分解し工夫した成果を大切に後世に伝えるためです。
"Testicle (kintaki) attack is not a foul.  The stance is more like Sanchin-dachi in that situation and how to set up the hand is more like Tensho.  Free kumite conditionally enables the combat-style of ancient Goju-ryu to be reproduced with technical improvements for modern karate.  

YUZENKAI executes kids Karate classroom free of charge.Karate is the best fullbody motion that supports a strong spirit and the body. The education is a most immediate priority in any country. 

YUZENKAI has two logo. The culture, the religion, and the custom, etc. are different according to each country. YUZENKAI member in each country can select appropriate .
 国際的に勇善会は2種のロゴを用意しています。これは世界各地域の文化的多様性(形や色の禁忌等)に対応するためです。
道着用のエンブレム。戦国時代の中でも際立って哲学的な武将だった上杉謙信の軍旗二種を組み合わせてデザインした。中央の文字は謙信の戦闘旗「懸り乱れ龍」の書体。剛柔流空手は多くの中国武術と同様に象形拳、つまり龍・鶴・鷹・虎・獅子・蛇等の動作が型に表象しており、龍を中央に配したこのデザインは剛柔流にふさわしい。紺地に日の丸の旗は謙信が第106代天皇の正親町天皇から下賜されたもので、赤い円は日本を、紺色は信義と清廉を表す。
This emblem is derived from the combat flag of Kenshin Uesugi ,famouse warlord in the age of civil wars in Japan,16century.It means "Fight bravely".The Kanji of center is Kenshin's original cursive script of Ryu(龍:dragon).
KATA of Gojury are derived from a images of dragon, crane, tiger, hawk,and so on. For instance, Sepai and Kururunfa are dragon Kata. Saifa and Kakufa are crane Kata.Seienchin is hawk Kata. I think the character of this "Ryu" is suitable for Yuzenkai Gojuryu. Dragon is existence of fictitious. But it is "symbol of transcendent strength" in the Japanese culture.

(
phote;The KENSHIN Festival held in August every year in the Niigata Prefecture Japan)

The avove flags, navy blue and red circle, is
the flags Ougimachi-Tenno(1517-1593) gave Kenshin. The red circle means Japan, and the navy blue means justice and sincerity.Kenshin was religious Samurai. He never did an unfair act. He always not fought for his personal greed but fought for the justice of god .

This logo originates from oriental philosophy that Goju-ryu based on.  Five colors – blue, red, yellow, white, black - mean five elements compose the world. The diamond means four directions – north, south, east and west. This design originates in the family crest of Shingen Takeda (1521-1573),the warlord in the age of civil wars in Japan.
"YU" and "ZEN" are from names of my two masters, and they mean “courage” and “goodness”. KAI" means “Society” in Japanese
戦国時代最大の機動力を誇った武田信玄の「武田菱」を中央に配し、青・赤・黄・白・黒の五色(東洋哲学で世界を構成する五元素の色)で構成した。四つの菱形の集合は東西南北の世界の和合を象徴する。
introdaction video clips
gojuryu internatinaol karatedo kobudo union yuzenkai japan gojuryu internatinaol karatedo kobudo union yuzenkai japan 13/1/2013
Shihan-dai. Uno Keisuke who is Kancho OMOTO's students won the full contact kumite in the “forties” class of All Japan Budo-Karate Championship held at TOKYO.


gojuryu internatinaol karatedo kobudo union yuzenkai japan 16/9/2012
I participated in the festival of combative sports held at Niigata prefcture and exchanged with the professional wrestling.Then I am 54 years old. I always thinks that if a person want to be a true Gojuryu Karate-ka, he should learn from even the professional wrestling.

For Goju-ryu,the techniques are practiced not only at the Dojo.Gojuryu which knows only Dojo isn't valid to the professional of the fight.The posture to have learning from them humbly is sometimes important for us.
Karate and Budo are means. The purpose is a spirit of Bushido. Budo is "Way of life. "









But I'm afraid in the private affairs,my father's side ancestor, Morokage Omoto,was an immediate vassal of Kamakura-Shogunate in 13century.
Afterwards, his clan was provincial samurai family that involved with Muromachi-Shogunate at Oumi near Kyoto until 16th century.
By the defeat of the war of Sekigahara(1600), that divided Japan into the east and west, his clan was became a village headman of the feudal clan of the chief vassal of Tokugawa shogunate until the Meiji Restoration in 1868.
On the other hand,my mother's grandfather,Naonobu Sugiyama,
fought the Meiji imperial army to protect the Tokugawa shogunate at Odawara on May 19, 1868.
The imperial army was 2,700 soldiers, but his side was only 273 soldiers.His gallantry is my pride.(The picture is the Odawara castle in Kanagawa prefecture.)
His swords are my heirloom.These were made 300 years ago, but they do not louse sharpness by accurate care from generation to generation. Real Japanese sword is full of severe brightness and integrity.I think my life must be like them.
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