国際ホームページで公開した記事を元に適宜掲載しています。
「三戦」(サンチン)を鍛える
剛柔流空手は三戦で始まり三戦で終わるといわれます。
三戦立ち(さんちんだち)とは「三戦」呼吸法をするための立ち方です。
全身の筋骨を全力で締め、前進・回転・後退しながら突きや外受け、回し受けなどゆっくりと行います。呼吸は長く吸い長く吐く、短い吸い短く吐く、止めるを繰り返します。指導者は呼吸の頂点で所定の「シメ」を行います。
柔の型「転掌(てんしょう)」とともに剛柔流の土台であり、三戦ぬきに剛柔流はありえません。当会では小5位から発達状況と性別に応じて指導し始め高校から成人と同等の鍛えをします
2023.12.27
加藤勇先輩(1941-2023)を悼む
「勇善会」という名称は加藤「勇」、長沼「善」秋 両師範の名に由来します。加藤勇師範は本会の祖の一人で長沼会長の兄弟子であり先輩です。
1941年東京生れ。法政大学卒。高校生の時、泉川寛喜範士(※)に入門し沖縄伝剛柔流空手を修業開始。(※那覇出身の沖縄空手の大家で戦後の沖縄剛柔流筆頭の比嘉世幸範士の一番弟子)
全空連大会のまだ無い時代、日本空手道連合会全国大会第1回で型優勝。以後同2〜5回大会にて型・組手で準優勝・3位・優秀選手賞に輝きました。空手草創期のトップファイターでした。
当時は安全具の存在しない素手素面の時代。投げや崩しの許容範囲も広く各流派の特色を活かした組手を競技でできた時代でした。
加藤師範は基本、型、分解、組手、実戦、武器が連携した稽古し、「型の技は実戦でも競技でも使えなくては意味がない」とし、実際に試合で使うことができました。本会長沼会長をはじめとする後輩たちにもそう指導しました。
よくも悪しくも実戦志向だった昭和の空手家の最後の世代で治安の悪い東京の下町で暴力から人助けをして警察から表彰されたことなどもあります。
左は兄弟子の荒川武仙(1929-2016)師範と。荒川氏はヌンチャク、棒、サイ、トンファ―を得意とした沖縄古武道の大家で双幹流双節棍道(ヌンチャク)宗家です。
加藤先輩は日本刀との戦いを想定した沖縄伝統の棒術・ヌンチャク・サイ・トンファー・二丁鎌の稽古にも熱心でした。
享年82。合掌
2024.8.27補足
簡単な空手の歴史
空手は中国武術から影響を受けながら沖縄で生れた琉球武術です。最初は空手とは言わず単に手(てぃー)とか唐手(とうでぃー)といいました。琉球国王や中国使節団の前で型が演武できることは沖縄武士の重要な資質でした。
明治時代になると「手」は地域的特徴から那覇手(なふぁでぃ)、首里手(すいでぃ)、泊手(とまいでぃ)に区分されるようになりました。那覇手と首里手はかなり違い前者は円の空手、後者は線の空手といわれます。(写真は那覇手)
明治38年(1905)、沖縄県学務課は沖縄の小中学校の体育で教えるために名称を「唐手」(からて)と正式に定めました。「唐手」は大正時代中期から本土へ「唐手術」と紹介され始めました。
昭和4年(1929)、唐手術那覇手が本土に伝わったとき流派名を問われました。柔道や剣道以外の日本武術には流派名があるのが当然だったからです。そこで本土では「剛柔流」と名乗ることにしました。続いて糸東(しとう)流、和道(わどう)流が本土の流派として結成されました。
昭和11年(1936)、沖縄県学務課は字を「空手」に正式変更しました。「唐手」だと中国武術と混同されやすいためです。
第二次世界大戦(1941-1945)で沖縄は悲劇的な戦場となり、しかも1972年までアメリカ軍に占領され、簡単に行き来きできない地域になりました。その復興の中で首里手から小林流(少林、松林:しょうりん)が結成され、那覇手から上地(うえち)流が現れました。
本土では松濤館(しょうとうかん)流や剛柔会が組織されました。勇善会の剛柔流は戦前に渡来した沖縄の系統なので剛柔会とは違います。
21世紀の空手は細かな会派や団体に分かれ、新しい流派が作られ、沖縄にルーツを持たないカラテ、キックボクシングから誕生したカラテも現われ、流派の数は数え切れません。海外で出来たものも含めると無数としかいわざるをえない現状です。主要参考文献:「唐手から空手へ」金城裕(日本武道館2011年)
型の名称
空手についての文字記録はほとんどありません。そのため型の名称は判然としないことが多く、たとえばセイエンチンという型は遠い間合いの敵を鎮める「征遠鎮」、敵を引き寄せて戦う「制引戦」などいろいろな書き方が口伝えとしてあります。
基本的には今でもカタカナ書きが主流ですが、近年、源流である中国拳法と空手の歴史研究、基本や型の比較研究が進み、剛柔流と白鶴拳(はくつるけん)や羅漢拳(らかんけん)などとの関係が指摘され、前述のセイエンチンも鷹拳の系統であり青鷹戦と書くのが正しいと指摘されています。こうした研究は型を鍛えるときの理念、型の使用法を研究するときの基準になります。
(図は剛柔流一門に伝わる沖縄伝「武備志」より。剛柔流の歴史、考え方、型の成り立ちや使用法を研究する際、不可欠な史料です。)
主要参考文献:「空手伝真録上巻・下巻」金城昭夫((株)チャンプ2008年)
2019.8.2 巻き藁(まきわら)
これは「まきわら」という空手の代表的な練習用具のひとつです。これで正拳や手刀をはじめ、手足の各部位を鍛えます。上へいくほど薄くなるヒノキの柱でできており、先端には皮がまいてあります。そこを突きます。
空手の技は鍛えた素手の正拳で行う前提で作られています。巻き藁鍛錬により空手の突きが足もとから起きた力が腰〜背筋〜肩を通って拳に伝達される全身運動であることが認識できます。巻き藁鍛錬では突いたらすぐに引くという動作はせず、突いた瞬間に肩と甲骨の動きで拳を押し込み、拳が巻き藁の弾力でハネかえってくるのに合わせて引き手をします。写真をクリックすると打ち込み動画がみられます。
空手の突きは、当たった瞬間と、押し込んだ瞬間の二つの衝撃のピークがあります。中段を突くときは背骨を折るつもりで、上段を突くときは後頭部へ正拳が突き抜けるつもりでと古来言われています。
環境が許すならば巻き藁鍛錬はした方がよいです。